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森林、水、米(『ほっとニュース』2019.6.6)

このコラムでは、こだま舎会員向けの会報から記事を掲載しています。

 

森林、水、米 その1

 

昨年は、というか、年々災害が増えているようで、人間が自然にしっぺ返しをうけているように感じているのは私だけではないかもしれませんね。

雨が降れば何年も経験がないような豪雨となり大きな被害を及ぼしています。なぜそのような豪雨がもたらされるのかという疑問だけではなく、何年も強固に維持されてきた土手、崖なども一瞬にして崩れるのにも豪雨以外に原因があるのではないかと思ったりしています。

そんな時に思い出したのが富山和子の名著『日本の米』(中公新書1993年出版)です。それに先立ち「富山和子が作る日本の米カレンダー 水田は文化と環境を守る」と題するカレンダーを作り始めています。我が家でも毎年のように掲げていましたが、いつのまにやら消えてしまっていました。

が、幸いなことに『日本の米』は手元にありました。

 

我が国の「米の文化」について、地球環境問題の深刻化した今、米に養われた日本文化を世界にどう位置付け、どう評価しなければならないかも、おのずから見えてくる、と述べており、私の疑問にもつながるのかもしれず、少々の紹介を試みたいと思いました。

 

日本の米と水

我が国では、すでに弥生時代に水田があったようですね。米は優れた「食」として今の時代まで引き継がれています。

1.栄養価が高く、栄養のバランスにも優れている

2.生産性の高い作物である

3.長期間の保存に耐える

4.おいしい

と、富山はまとめています。

 稲は日本の風土に合っている。水と太陽、「とりわけ稲が生長して実をつける夏の一時期、高い気温と日照時間」。

 稲と水の関係について「稲は一人でやってきたわけではなかった。稲が必要とする水。その水とともにやって来た。いかに稲が実り豊かな食物であったとしても、水がなければ始まらない。また、いかに日本列島が単位面積当たりの年平均降水量に恵まれていたとしても、技術がなければ水利用は行えない。

 今日、水や緑に対する関心はにわかに高まって、ブームとさえ呼ばれるほどである。けれども、では水についてどこまで理解しているかといえば話は別であり、あたかも自然を守るとは人間が手をふれぬこと、との思い違いが蔓延しているのと軸を一つにして、人間の労働とか技術への評価を忘れがちである。水の存在を保証するのは土壌であり、その土壌は日本では今日まで、人間の労働の産物であったこと。同じように、その水を利用するのは技術によってこそ可能であり、たとえ目の前を大量の水が流れていようと、水利用は技術なしには実現しない。」

 

ここ数年、大量の雨があちこちで災害をもたらしていますが、その雨水をうまく利用できていた以前の技術が今日では通用しなくなっているのでしょうか。(山崎久民)

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