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本の紹介『食育のウソとホント』(『ほっとニュース』2019.8.8)

このコラムでは、こだま舎会員向けの会報から記事を掲載しています。

 

本の紹介 『食育のウソとホント』(魚柄仁之助 こぶし書房)

ちょっと斜めに、皮肉に食育を切った本。食の常識と何となく思わされている事柄に惑わされるなよ! との忠告の書というべきか。

 

玄米について

 江戸時代の庶民の標準的な食は「白米+汁物+漬物」。で、脚気などにかかりやすく、玄米の栄養価が注目された。その玄米のオールマイティが現代にそのまま持ち込まれているが、江戸時代と違って副食はずっと豊富になっている。「今の時代に米という一つの食料に多くの栄養素を求める必要はないでしょう」と。「現在の日本において、玄米は自分の思考で選ぶ主食の一つでしょう」。

 

砂糖は毒物よ! は逃げの食育

 どの食材も功罪あり。だから摂るなと教えるのは「食育」ではない。その使い方=食べ方を教えるのが「食育」。

 

和食と牛乳

 学校給食の場で「和食と牛乳」の議論が注目を集めるようになった。乳牛に食べさせる牧草より穀物や野菜などの栽培の方が土地利用の効率がよいこと、従って格安の輸入飼料で成り立っている我が国の酪農事情。ところが格安の輸入飼料の価格高騰が予測されており、それは当然学校給食の値上げにもつながる。値上げ問題を食文化問題にすり替えているのではと著者は勘繰っている。だって和食に合わないのなら牛乳の出る日はメニューを替えればいいし、食事と別の時間に飲んでもよいし。それに「みーんな揃って平等に」牛乳を飲む必要はないと思いますよ、ですって。

 

「旬」の食育とは

 「旬」のものをよく食べようというのであれば、食べ尽くせるだけの「食技術」が必要でその技術を教えることが「旬」の食育であろう。

 

賞味期限を延ばす食育

 賞味期限を正しく知ることは食育だが、正しい知識と食技術があればその賞味期限を延ばすことができる。それも食育。

 

世代間での食の支えあい

 世代間の持つ弱点を支えあうとして、まず高齢者の弱点が書かれていた。上質の食材を購入できる経済力は持っているが、それを使い切るべく料理する気力がなくなっている、また、それを食べ切ることができない。だから大量生産の加工品を食べることになる。若年層の弱点とも合わせ支え合いを探ってみよう。

 

 あれこれ詳細はそれぞれ手にして読んでみて下さい。こだま舎ライブラリーに置いてあります。

 

                                    (山崎久民)

author:こだま舎, category:-, 13:32
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相次ぐ自然災害 地域の❝再生力❞奪う(『ほっとニュース』2019.8.1)

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この欄で富山和子が書いた米文化のこと、自然災害への警告などを取りあげました。その続編ともいうべき以

下のような記事が7/4付日本農業新聞に掲載されていました。毎日のようにどこかで集中豪雨があり避難警報

が出されています。一方で、自然災害とくくってしまってはいけないのではないかという識者も出ており、私

たちの暮しぶりの中にある原因を見過ごしてしまうとの指摘にうなずかされています。(山崎久民)

 

相次ぐ自然災害 地域の再生力“奪う

標高700メートルの徳島県三好市の栗山集落。雨脚の強まる前の3日午前、ただ1人住む自治会長で農家の喜多二三男さん(67)が道路やゼンマイ畑の点検をした。

1車線の細い山道を数十分進んでたどり着く同集落は、診療所などがある地域まで車で40分かかる山奥。昨年の西日本豪雨発生までは高齢者ら16戸26人が住んでいた。しかし、豪雨で道路が寸断。危険と判断した同市が避難を要請し、住民は郷里を離れた。

豪雨から1年、建設業者の不足などで工事は半ば、道路は各地で寸断されたままだ。同市によると、完全復旧には数年かかる見通し。親せき宅に身を寄せる、避難先の市営住宅で暮らすなど住民は別々に暮らす。

 

人がいてこそ

人が住まなければ、イノシシや鹿が農地だけでなく家まで荒らす。祭りも草刈りも住む人がいてこそ、営まれる。喜多さんは「いつかみんなが戻った時のためと思って1人集落に戻った。里山に人の手が入っていたころは、鉄砲水のような大雨が降っても山まで崩れるようなことはなかったのに」と寸断されたままの道路を見詰める。

林業が盛んだった同集落。1973年の夏も豪雨が襲い、家が流されるなど大災害に見舞われたが、当時は離村者はいなかった。団結力が自慢の集落で、災害以降、木材価格が低迷してもゼンマイを特産化し、祭りも維持してきた。

しかし、西日本豪雨は復興の前提となる基盤が半世紀前の災害とは大きく異なった。3日、古里を見に来た小西浩二さん(68)は「高齢者ばかりで若者がいない地に豪雨が追い打ちをかけた。思い出の詰まった古里の行く末を考えると胸がつぶれる気持ち」と明かす。

それでも、集落の住民らは今夏、避難先各地から集まって祭りを復活させる予定だ。喜多さんは「道路が普及しても戻る住民は半分もいないかもしれない。30年後にこの集落はないだろう。でも祭りは集落の希望。基盤はどれだけ衰えても古里だから諦められない」と自らに言い聞かせる。

 

いたちごっこ

2016年4月に発生した熊本地震。今なお水田農業に影を落とす。農地や水路が大規模に被災した南阿蘇村では、地震発生から4年連続で田植えを断念した地区が複数ある。水路が立たれた同村立野地区は、農業用水を確保できず、今年も田植えを見送った。来年に田植えを再開できる見込みだが、一度揺らいだ生産基盤を立て直すのは簡単ではない。被災後に別の場所に新居を構えた例もあり、住民の帰還が見通せない。一時360世帯が長期避難世帯に認定された同地区は、4月時点で帰還したのは158世帯にとどまる。

村農政課は「地震後しばらくは復旧工事の発注をかけても受けてもらえない状態だった」と明かす。行政職員も不足でぎりぎりの対応を迫られた。同課は「地震後も豪雨など他の災害が発生している。いたちごっこだ」と苦悩する。

author:こだま舎, category:-, 08:50
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富山だより Part 14(『ほっとニュース』2019.7.25)

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富山だより Part14

アート

篠島ゆき野

 

2019年は、もう少しアートを生活に取り込みたいと思っていました。

日常生活に必須ではないかもしれないけれど、心を豊かにしてくれるのを友人と話していて感じたからです。

そんな時に新規オープンするカフェで働く話を頂き、5月中旬からカフェでも働くことになりました。

そのカフェは、30代の建築家夫婦が2016年にゲストハウスを建てた後、ご飯を食べる場所が少ないということで建てられたカフェ&バーです。店内の内装はご夫婦がされ、木皿や陶器は町の職人さんや作家さんのものなど、洗練された空間になっています。

またシェフもニュージーランド人など、富山に来てこんなグローバルな場所で働くとは思ってもみませんでした。

 

漆の箸やノミで彫られた皿を手にすると、普段家で使う“料理を置く”だけの用途でなく、その道具ができた過程やどうしたら映えるかなどを考えるということを知りました。

器という作品に思いを馳せることがアートでもあるというか。

 

家で使っているお皿は貰い物やリサイクルセンターから拾ってきたものなので、愛着があるものは多くありません。なので思いをはせ、愛でることは久々の感覚というか。自分がカフェという空間に身を置くことによって、研ぎ澄まされた感覚です。

 

先日カフェの器を作られた方のグループ個展に行き、ガラスの一輪挿しを購入しました。“たまねぎ”という名の通り、丸くおぼこい形をしています。

それまで、3歳の娘が摘んできた花を私はワンカップの瓶や湯飲みに無関心に入れていたのですが、たまねぎの一輪挿しを見たときに、これだったら娘が摘んできた花を、渡してくれる瞬間のように、可愛らしくみせられるかもしれないと思いました。

そして玄関に飾ると、一輪挿しの周りが少しパッと明るくなったような気が勝手にしました。

 

美への感覚はその人本来が持っているものだけでなく、日々培われることを感じます。

 

そして驚いたのは、そのような感度の高い人たちは、鉄道も通っていない田舎町であろうと良いモノがあればやってくるのです。

author:こだま舎, category:移住への道のり, 04:31
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有機農業は進展する?(『ほっとニュース』2019.7.18)

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有機農業は進展する?

 

有機農業推進はまだまだ少数派

 

4/9日付日本農業新聞の一面に兵庫県丹波市立学校「農(みのり)の学校」が開校したとの記事が掲載されていました。有機農業に関する知識、農業経営、農村文化を幅広く学べる全日制の学校で、このような農業学校の設置は全国で初めての試みとのこと。

40年前に、こだまの会(こだま舎の前身)は有機農業を営む農家と提携、有機農業を進める活動の端くれに加わりました。その当時、まだ有機農業という言葉はそれほど一般的に知られてはいませんでしたから、情報はずいぶん広がってきたと言えるかもしれません。が、日本各地では有機農業推進の考え方に反対の率は高く、神奈川県も例外ではありません。

この「農(みのり)の学校」開設が大きくニュースになることからも有機農業推進がまだまだ少数派であることを示していると言えるでしょう。

 

 

有機農業推進法5年ごとに見直し

 

前回の見直しの際、普及目標を「有機農業を全国の耕地面積の1%に倍増させる」としたが、結果は0.5%にとどまりました。なぜ拡大しなかったのか、その原因を秋田県立大学の酒井徹准教授が分析(6/19付日本農業新聞より)、検証しています。それによれば、生産面では供給量と品質の確保が難しく計画出荷ができない。しかも担い手は新規参入者や移住者が多く、経営の確立が容易ではない。政策面で欠かせないのが技術支援と所得補償。生産者は零細で全国に点在し、物流はここに対応せざるを得ず、流通の課題が大きいとも指摘しています。

有機市場の拡大に伴うスーパーや外食の要望に応えられるようJAが産地化に取り組み発展させていかなければならないと提案しています。

 

先週の『ほっとニュース』に吉田てづくり農園の吉田雅信さんの記事を掲載しました。有機農業を増やしていく原動力は消費者が有機農産物を選択・購入することだと書いています。

本当にその通りだと思います。しかし、残念なことにこだま舎の40年の間で有機農産物の購入者は激減しました。会員数が激減したということなのですが、退会後の動向をはっきり把握してはいません。こだま舎退会後、オーガニック大手の事業体から購入することにしたのかもしれませんので、退会者が必ずしも有機農産物市場から脱退していったということではないかもしれません。

今後のこだま舎の事業運営をどうするか考えるときに、退会後の動向はとても気になります。

 

有機市場の拡大に伴うスーパーや外食の要望に応えられるように整備の必要性を新聞記事は書いていますが、そうした整備がオーガニック市場に競争原理を引き込む可能性も高く、すでにその様相になっていると感じています。こだまの会当初に、将来はスーパーなどで誰もが自由に購入できるようになればよいと思っていましたが、今ではむしろ生産者と消費者が個人的、双方向的にお付き合いする昔ながらの「提携」がやはりよいのではと思ってもいます。

                                     (山崎久民)

author:こだま舎, category:-, 07:41
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有機農業者より消費者の皆様へ(『ほっとニュース』2019.7.11)

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有機農業者より消費者の皆様へ

〔今自分の食べ物のことを考えてみませんか〕

吉田てづくり農園 吉田雅信

 

最新の「農水省 統計資料“農業センサス”」によると農薬、化学肥料を使用して作物を生産している農業者は全体の99.5%で、有機農業者は1%もいません。つまり自然の恵みとしての農作物はほぼありません。

 

2010年現在、単位面積当たりの農薬使用量比較では、日本は、世界の主要国中、中国、韓国に次いで第3位の多さです。(国連食糧農業機関統計2013)

 

農業とは農薬と化学肥料を使用して人間の都合に合わせて効率よく食糧生産する仕事です。そのお陰で、私達は店頭で競い合って安く売られている今欲しい食材を、季節に関係なくいつでも何でも手に入れる快適で便利な暮らしを送っています。

 

有機農業とは、人間の都合に合わせるのではなく自然の摂理に従って食糧生産する仕事です。環境を汚さず、生態系を壊さず、化学物質過敏症状の方(優秀な体内センサーを持つ方)が食べられる食材を提供しています。しかし、収穫出来るものは、季節と天候により、また虫害や病害により限定的です。

 

当農園は有機農業の普及を経営目標にしていますが、自分自身も含めて現代を生きる私達が有機農産物だけで生活するのは困難であることも承知しています。まずは無理のない範囲で少しづつ、ようやく収穫に至った有機農産物で暮らす消費者が増えていくことを願っています。今日の献立のために必要な食材を探すのと同時に、今採れている食材をどう利用するか思案する機会が増えていけば幸いです。

 

有機農業は困難な仕事だから有機農業者が1%もいないのではありません。季節に準じてその時その時に週に至っている有機農産物で生活する消費者が増えないと有機農業者は増えません。誰もが売れるものを作りたいと考えますので、消費者が何を買い求めるかで社会は変わっていくと思います。

 

そして我が国の食糧自給率はおよそ40%(カロリーベース)ですので、輸入が止まれば私達10人中6人分の食べ物は無くなります。私達の食べ物は不足しているのに困らない、そして廃棄されている。不思議な現実です。

 

日々人口減少と高齢化社会の問題が報道されていますが、「農水省 統計資料“農業センサス”」によると、農業界では、社会全体をはるかに凌ぐ勢いで農業従事者の減少と高齢化が進行しています。どうすれば食べものを作る人の現象が止まるのでしょうか。

 

食べ物はあるが当たり前ではありません。異常気象の頻発で食糧の安定供給は年々難しくなると危惧されています。先々の人が困らないように私達はどのように暮らしていけばいいのでしょうか。何より見暮しの根幹である自分の食事のことから考えてみませんか。

author:こだま舎, category:-, 08:33
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富山だより Part13(『ほっとニュース』2019.7.4)

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富山だより Part13

いい季節

篠島ゆき野

 

肌寒さもなくなり、いい季節になってきました。

私たちが住んでいる築100年の古民家は、日よけにもなる20本以上の防風林や風が通るたくさんの窓など夏を重点に作られているので、我慢の冬から快適な夏に向かっていくことで幸せな気持ちになります。

お隣の韓国は冬に重点を置いた作り方になっているそうで、そのためにオンドルなどが発達したのだとか。冬も快適に過ごせるように考えたいものですが、季節の仕事に追われているうちにあっという間に秋がやってきてしまいそうです。

 

今ですと、梅をとってきて梅干しに挑戦中。また梅雨の時期なので、雨樋の掃除、草刈、カビ対策など。昨年は椅子や革製のカバン、靴などありとあらゆるものがカビましたが、今年は去年に比べて少ないような気がします。人が家に入り空気が流れているからなのでしょうか。不思議です。

 

暖かくなると、集落の行事も増えてきます。お祭りや運動会、草刈。

ちょうど今日地域の運動会がありました。今年は小学校の運動会(来年から小学生のため)、地域の運動会、保育園の運動会と3回も参加する機会があります。

少し面倒だなと思いつつ、行くと顔を合わせて話すことができて、つながりを感じます。毎回しりとりレースや大縄跳びなどの種目は変わらないのですが、大人メインの地域対抗運動会で子どもたちは隅っこで走り回っている所がなんだか面白いです。

終了後は、各集落の公民館で宴会があります。

同市内でも地域の運動会をやる場所が減ってきているそうですが、私はなんだかんだ楽しんでいるので、続いていってほしいなと思います。

人口が減っていく今だからこそ地域のつながりを大切にしたいです。

新参者の私たちは顔を知ってもらういい機会であり、普段会えない人とも一緒に競技に出ることによって一体感が出たりします。

 

結果は、大繩跳びで逆転負けしてしまい2位でした。

宴会にて「来年は、田植え、水の調節、草刈の後、大縄跳びの練習を入れるかー」との冗談もありました。山崎さんの文章とリンクして、集落の方々が水の調節など、日々気にかけていることを宴会の会話で垣間見ることができ、私には見えていなかった水のコントロールや稲の成長への緊張感が収穫まであることを知りました。

author:こだま舎, category:移住への道のり, 09:43
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森林、水、米 最終回(『ほっとニュース』2019.6.27)

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森林、水、米   最終回

 

阿蘇山の例 森林は米が作った

 

富山和子は、著作『日本の米』で阿蘇山一帯の事例についても書いています。阿蘇山一帯は比較的最近に地震、土砂災害にあった地域でした。日本のあちこちで起きている土砂災害の一つでもありましたから、富山のこの阿蘇山一帯の事例の箇所には特別に目が向きました。

 

「阿蘇山は火山灰土の、水もなく緑も土もない、灰色が特徴のような山である。江戸時代、その外輪山の山裾に人々は入植しようとするが、水がない。そこで人々は村中総出で、半世紀にわたって山へ行き、杉の植林をする。それは厳しい重労働であった。木がないのだから穴を掘っての穴居生活であり、苗木を他から購入するので費用もかかっている。そのようにして何百万本も植えつづけて半世紀経つと、涸れ川にとうとうと水が流れるようになる。そこで、人々は一の用水、二の用水と水を引き、入植する。これが熊本県御船町であり、その水が一級河川緑川の水源の一つであった。水を引く事業も他の用水開削と同じように、幾十ものダムを築き、幾十ものトンネルを穿ち、数十キロの水路を開削する大事業であった。人々の植えたその森林はいま、国が学術参考林として特別に保護するほどの、うっそうたる森林になっている。」

「(この)阿蘇の場合、何もないところに森林を作り、土壌を作り、水を作り、川を作った。」

「これが、今ある日本の森林の、一般的姿であった。このように森林は、米が作っている。」

 

このような歴史を持つ阿蘇山一帯地域なのですが、今回の災害で、今後につなげる何らかの動きがあるのだろうか調べてみたところ、「現地見学会及びシンポジウム 熊本地震災害から学ぶ“緑”の役割と再生 主催:日本緑化工学会」というシンポジウムが開催されているのを見付けました。

かつての植林にはじまる水を作り、米を作る動きとは違いがあるようですが、富山が言う水などとの一連の関わり合いを探る動きは脈々と今に引き継がれているということなのでしょうね。

 

富山和子の警告

 

 富山和子が『日本の米』を中公新書で初版出版しているのは1993年10月のことです。近年の災害を予告するように、都市の人間に警告を発しています。

「耕して天に至る山の斜面の開発は、大河川の治水が始まる以前、多くは中世に行われているが、以来、農民たちは石垣を補修しながら、崩れやすい火山性の山々を守ってきたわけであった。その水が川の水も地下水も養っている。そこに人が住んでいる、ということで、森林もまた守られている。しかしながら、そのような農地から減反が始まっているわけであった。都市の人の目の届かぬそのような僻地こそ、国土保全のためにはどうしても、人の住んでいただきたいところである。が、そういうところからまず減反が始まって、櫛の歯の欠けたように人がいなくなり、廃村になっていく。すでに山崩れが起きている。ダムの崩壊や埋没が始まっている。」

 

 この警告をどのように受け止めたものか、日本に暮らす私たちへの問いかけは真に重い。

                                      (山崎久民)

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森林、水、米  その3(『ほっとニュース』2019.6.20)

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森林、水、米   その3

 

 

水の事業

 

富山和子は、また、日本の米文化はヨーロッパの開発とは根本的に違っていると『日本の米』で言っています。

「水田という生産手段を通して自然の大改造を行った」

「自然の大改造であり、どこまでも自然の破壊ではなく「改造」であった。それはヨーロッパのように森林を破壊し、自然の生活力を奪ってしまったような土地の開発とは全く異なる。今日環境問題でいうところの「持続可能な開発」、いやもっと積極的な、「大地の生産力の育成」というべき事業であった。」

また、水はとても敏感な存在だと。木との関連で言えば、「木を伐れば、たちどころに洪水や土砂崩れとなり、あるいは水不足となって反応する。地形急峻、雨がまとまって降る火山列島の、水に敏感な国土の条件と、その土地で起こされる稲作という水に敏感な土地利用とが結びついて、早くから日本人には水系の思想が養われ、植林の大切さが理解されていたに違いなかった。」

 

前回でも紹介しましたが、富山はそうした一連の大改造に共同作業と人手がいったのだと。

そのことについて富山は次のように鋭い指摘をしています。

「私たちは川の水も地下水も、自然物と思いがちである。そして事実、水の値段には、水を作ってきた農民の労働の費用など含まれていない。それは森林における林業者の場合と同様である。それどころか、その費用を支払わない都市の側を過保護と呼ばず、かえって農民の側を過保護呼ばわりしてきたのが現代社会であった。……紛れもなく農民たちの労働と、彼らが出資した費用との結果である。いいかえれば川の水も地下水も、人件費の注ぎ込まれた、実に高価な生産物なのであった。」

 

今日、遅まきながら日本でも農業の多面的機能を評価しようとの考え方がかなり一般的に語られるようになってきましたが、この富山の視点を重ね合わせてみると容易に理解、納得がいきますね。

 

 農業の多面的機能の評価という国の施策に連なる(のだろうと解釈している)棚田法案提出が衆院農林水産委員会で決められました(6/6日本農業新聞)。

「棚田地域が持つ多面的機能と位置付けた。そうした機能が生み出す恵みを、国民が将来にわたって得られるよう棚田を保全し、地域での定住や国内外との交流を促す必要があるとした。」

 また、6/16日本農業新聞では、東北の一部で棚田存続に黄信号がともっているとの報道がありました。菜々穂蠻西譴任涼田体験、さらに東北一の関での棚田見学するなどの機会に恵まれ、その際、地元での危機感を肌で感じました。少しでも保全が可能になる地域が出てくれればと思うばかりです。(山崎久民)

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森林、水、米 その2(『ほっとニュース』2019.6.13)

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森林、水、米   その2

 

 

畑と水田

 

畑と水田について都市に住む私たちは、農業と一括りに考えてしまいます。「食」の重要性という点で甲乙をつけることもできません。

ところが、富山は畑と水田は根本的に違うと言っています。違いとは何か。

「水田の場合、まず、水をどこからか引いて来なければならない。水源を探し、川を堰き止め、水路を築く必要がある。畑地なら斜面であっても可能だが、水田の底は平らでなければならない」「一枚一枚の水田に水を張り、どの水田にはどこから水を入れ、どこに水を落とすかということを綿密に計算し、全体に行きわたらせるようにする。」等々と説明しています。さらにこれらの事業を行うについて共同作業と人手がいるのだと言い、そうした行為が日本の文化、言い換えるなら水をコントロールする文化を創り出したのだと。

 

水田と水と菜々穂蠻西

 

上述の文章を読みながら、山形県の故片平夫妻(こだま舎と長いこと提携していた農家)が手掛けた菜々穂蠻西譴涼田を思い出しました。片平さんでは自宅近くの平場の田んぼの他に純粋に有機無農薬の栽培ができるところとして長井市に購入した農場を菜々穂蠻西譴般症佞韻泙靴拭C田の他に山あり池ありの広い農場でした。この棚田へも毎年援農に行きましたが、米作りは大成功とはいかず、結局、放置されることになってしまいました。

 片平さんは、周りの小高い山が日照を妨げたことがうまくいかなかった一番大きな理由かなと言っていましたが、富山が言うところの水田での水がうまくコントロールできずにずいぶん苦労していたことを思い出しました。

 また、農場内には清んだきれいな水の池があり、けれど、農場内にある家の生活用の水(水道局の水ではない)不足が度々起きていました。様々な試行錯誤をしたものの、そうした水に関する一連の問題は結局100%解決することはありませんでした。

片平潤一さんは、自然との付き合い方という点で都会人の私たちとは比べようもない位の知識と技術を持っていましたが、それでも菜々穂蠻西貽發諒雑な水系を見極めることができなかったということだったのでしょうか。

 

 次回以降でも、水田、山(森林)、土の関連について理解したことを書いていきたいと思っていますが、菜々穂蠻西譴稜西譴箸靴討陵効性を阻んでいた水をはじめとした幾つかの課題はそれほど単純に解決がつくものではなかったことが、今になればよく分かります。

 

 

(山崎久民)

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森林、水、米(『ほっとニュース』2019.6.6)

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森林、水、米 その1

 

昨年は、というか、年々災害が増えているようで、人間が自然にしっぺ返しをうけているように感じているのは私だけではないかもしれませんね。

雨が降れば何年も経験がないような豪雨となり大きな被害を及ぼしています。なぜそのような豪雨がもたらされるのかという疑問だけではなく、何年も強固に維持されてきた土手、崖なども一瞬にして崩れるのにも豪雨以外に原因があるのではないかと思ったりしています。

そんな時に思い出したのが富山和子の名著『日本の米』(中公新書1993年出版)です。それに先立ち「富山和子が作る日本の米カレンダー 水田は文化と環境を守る」と題するカレンダーを作り始めています。我が家でも毎年のように掲げていましたが、いつのまにやら消えてしまっていました。

が、幸いなことに『日本の米』は手元にありました。

 

我が国の「米の文化」について、地球環境問題の深刻化した今、米に養われた日本文化を世界にどう位置付け、どう評価しなければならないかも、おのずから見えてくる、と述べており、私の疑問にもつながるのかもしれず、少々の紹介を試みたいと思いました。

 

日本の米と水

我が国では、すでに弥生時代に水田があったようですね。米は優れた「食」として今の時代まで引き継がれています。

1.栄養価が高く、栄養のバランスにも優れている

2.生産性の高い作物である

3.長期間の保存に耐える

4.おいしい

と、富山はまとめています。

 稲は日本の風土に合っている。水と太陽、「とりわけ稲が生長して実をつける夏の一時期、高い気温と日照時間」。

 稲と水の関係について「稲は一人でやってきたわけではなかった。稲が必要とする水。その水とともにやって来た。いかに稲が実り豊かな食物であったとしても、水がなければ始まらない。また、いかに日本列島が単位面積当たりの年平均降水量に恵まれていたとしても、技術がなければ水利用は行えない。

 今日、水や緑に対する関心はにわかに高まって、ブームとさえ呼ばれるほどである。けれども、では水についてどこまで理解しているかといえば話は別であり、あたかも自然を守るとは人間が手をふれぬこと、との思い違いが蔓延しているのと軸を一つにして、人間の労働とか技術への評価を忘れがちである。水の存在を保証するのは土壌であり、その土壌は日本では今日まで、人間の労働の産物であったこと。同じように、その水を利用するのは技術によってこそ可能であり、たとえ目の前を大量の水が流れていようと、水利用は技術なしには実現しない。」

 

ここ数年、大量の雨があちこちで災害をもたらしていますが、その雨水をうまく利用できていた以前の技術が今日では通用しなくなっているのでしょうか。(山崎久民)

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