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有機農業に日中が連携(『ほっとニュース』2019.3.21)

このコラムでは、こだま舎会員向けの会報から記事を掲載しています。

 

何かと話題になる中国のお話です。社会的企業として有機農業への関心が高まっているとのこと。

終り近くの下線部分、日本のオーガニックの世界にどんな影響があるのか、とても気になりますね。

 

有機農業に日中が連携(日本農業新聞2018.11.19付より)

深刻な社会問題に

 2008年の「毒ギョーザ事件」をはじめ、日本では中国産の食材に不信の目が向けられることが多いが、中国でも近年、食の安全は深刻な社会問題と受け止められている。そこで注目されたのが有機農業の先進国・日本だ。 公害や環境汚染が深刻化した1970年代以降、日本では農家から消費者への直売や、生協などでの有機野菜取り扱いが進んだ。環境保全と密接に結び付いた食材のあり方は、日本が中国に教えることのできる代表的分野の一つ。有機農業を媒介とした日中の結びつきが深められてきた。

 

土壌汚染された畑

 河南省で農場と堆肥工場を経営する川崎広人さん(72)が中国と関わりはじめたのは、定年を迎えた2006年からだ。勤めていた生協に青島農業大の人々が視察にやってきたのがきっかけ。仕事の傍ら有機農法の勉強をしていた川崎さんに中国に来てほしいと声がかかり、現地で初めて畑を見た。「土壌が汚染され、ひどい状態だった」

 いつか中国で有機農業をしたいと同大で09年から1年間、研究員をしながら各地に畑の状況を調べた。「自分にしかできない」と決意し、13年に中国に渡った。今では株の半分を所有する共同経営者だ。

 湖や川に捨てられていた家畜のふんで堆肥を作り有機農法でトマトや小麦、米の栽培を始めた。堆肥が売れなかったり、スタッフが安い化学肥料をこっそり使おうとしたり。土壌づくりを指導する農家との信頼関係構築にも苦心した。今では100ヘクタールの畑で20人以上が働く。食の安全に貢献する「社会的企業」の一つだ。 中国版ツイッターで積極的に農場の日常や堆肥の使い方などを発信。日増しに増える反響に、有機への関心の高まりを感じる。堆肥づくりの研修会にはこれまで1千人近くが参加した。

 異国で1人奮闘する川崎さんのもとには若い担い手が集まってくる。「自分が中国の役に立っていると日々実感できる。(旧日本兵が帰国せず僧となって旧ビルマに骨をうずめる小説)『ビルマの竪琴』の現代版だと思っています」

 

都市部で高い関心

 物質的な豊かさに囲まれて育った都市部の若い世代は、食の安全に関心が深い。北京市内で毎週のように有機食品のマーケット「有機農夫市集」が立つ。色とりどりの野菜や果物に肉、手づくりのお茶やチーズ、蜂蜜やジャム。農家が自分たちの畑から直接持ってきて販売する。値段は普通のスーパーの倍以上で、10倍近いものもある。

 このマーケットは北京に住む日本人女性が10年に始め、常天楽さん(39)が受け継いだ。今では他に常設の店舗も二つ経営する。

常さんは昨年、日本を訪れ有機農家や消費者グループを訪ねた。「日本では農家や消費者がネットワークをつくり、お互いに助け合うシステムを作っているのが面白い。そういう仕組みを学びたい」と語る。

 有機野菜宅配の草分け「大地を守る会」(現・オイシックス・ラ・大地)も12年から、中国農村部の貧困問題に取り組むNPOと組んで有機野菜の農場を経営する中国の巨大市場をにらみ、企業や個人に宅配する合弁事業を手掛ける。(下線は山崎久民)

 変化が速く、どんどんテクノロジーを開発・利用していく中国と、ていねいで「顔の見える」サービスの得意な日本と。社会的企業を通じた公益的な領域でも、それぞれの得意な分野を生かすことができるはずだ。(編集委員・秋山訓子)

author:こだま舎, category:-, 08:14
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富山だより PART 12(『ほっとニュース』2019.3.14)

このコラムでは、こだま舎会員向けの会報から記事を掲載しています。

 

富山だより   PART 12

助け合いと保険

 

篠島ゆき野

 

新年の挨拶をしていたと思ったら、もう春!こちらではフキノトウが道の駅に並びはじめました。

今年は雪が少なく、本当に楽だったと村の人たちは口をそろえて言っているけれど、私たち家族にとっては、初めての雪。積もった日は大変だったねぇと経験値によりだいぶ感想がかわってきます。

 

秋から冬にかけては、多くの御講(お坊さんがお話してくれる)がありました。春になると、えざらえ(水路の掃除)や田植えの準備など体を動かす仕事が待っています。

 

ファイナンシャルプランナー2級を取得した際、収入を増やして保険や学費、老後の資金を貯めることが大切だと学びました。

 

しかし村ではまだ助け合う精神が残っています。高齢者の家の除雪、人口が減っている地区の除草、空き家管理、田んぼの管理等々。村には、資本主義による保険と村人同士の助け合いの2つが混在しています。

助け合いの担い手は、定年退職した方々や働き世代が日曜日に作業をしています。こんなに村の仕事があるから田舎の人は‘稼ぐ’方の仕事の仕方が都会よりもゆるいのもかもしれないとも思うようになりました。

 

稼いで保険に入って、村人同士で助け合う。通りで田舎の人たちは忙しいわけです。

でもこの助け合いに惹かれて私は引っ越してきたと言っても過言ではありません。そこには暮らしの中に優しさや安心があります。お互いを気遣い、出来ることをする。

それがとても美しく映ります。

しかしこれに関しても新参者の私と10年住んでいる同世代の知り合いは、意見が違いました。彼女は夫婦でPTAの役員をこなし、夫は住んでいないが実家がある在所の役員からずっと逃げられないとのこと。

助け合いも人数が減ってくると負担に変わっていくという現実。

私は今お世話になっている方なので助け合いが美しいと思っていられるが、いざ自分が担っていく方になった時に、それでも美しいといえるのか。

これからは省けるものは省いて、しかし助け合いというつながりはこれまでの大切な遺産なので、継承していきたいです。移住1年目の思い。

author:こだま舎, category:移住への道のり, 09:22
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古い世代からのメッセージ(『ほっとニュース』2019.3.7)

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こだま舎は、40周年を迎えました その8

古い世代からのメッセージ

 

・忘れられない思い出として、山形県の生産者宅に援農に行ったり、冬にはスキーに行ったり。静岡県の大石さんの茶畑や、竹の子ほりなど。衰退は、こだま舎及び他の組合もそうですが、身近なところに店ができたり、商品に対するニーズもばらばらに分かれてしまったこと、世の中が希薄な時代と高齢化等々と思います。

次世代に伝えたいこと、続けられる限り頑張ってください。(K.I)

 

・私がこだま舎と始めて関わりを持ったのは、もう30年位前になります。1986年に起こったチェルノブイリ原発事故の放射能汚染が問題となっていた頃で、こだま舎の勉強会に参加したことにはじまります。

 そんな活気のあった時期も過ぎ、今なお赤字の続く状態なら閉鎖もやむを得ないことと思っていたのですが、存続することが決まったのなら、とりあえず残ろうと思いました。今は、もう少し見届けてみようかしらと期待しています。(M.S)

 

・山形県の片平さんへの田植え、稲刈りと縁(援)農、四国の無茶々園(柑橘類)へ出かけ、芦浜産直出荷組合など原発誘致反対に、大石さんのお茶、竹の子ほりなど、鈴木良一さん等々、食べているもの一つひとつに思い出が詰まっています。

 私の長い人生、健康の源は「こだま舎」です。友人たちから元気だと褒められています。これも「こだま舎」の食材を永年食べているからだと確信しています。(T.I)

 

・子どもたち(当時、小・中学生)に安全なものを食べさせたいと入会しました。今は、近くに住む孫たちのために安全な果物を食べさせたいと毎週運んでいます。食に対する意識は常にあるので『ほっとニュース』は心して読んでいます。

 会員数が減っているのは残念なことです。若い子育て世代が食に関心を持ってくださるとよいと思います。 そうそう、お祭りは楽しかった! おもちつき、おでん、のり巻き等の販売、生産者の方々ともお会いでき楽しい催しでした。(M.M)

 

・家族がC型肝炎で通院していた頃にこだま舎のことを知り入会しました。こだま舎の危機をお知らせいただいた時は、次のところを探さなければと思ったのですが、継続するとのことでホッとしている次第です。(Y.S)

 

・母が3度のがんで亡くなったこと、娘にアトピーがあったことなどが下地にあって入会。

一時、パートタイムで働いていた時に知り合った人が、本当に出会った人は、すでに自分の細胞の一部になっていると言っていたことがあり、「こだま」も私にとっては、そんな感じです。(K.F)

 

 

*お断りとご了解を

以前に40周年記念事業に際して、意見を寄せていただいた方の文章から一部を抜粋させてただきました。ご本人にお断りせずの掲載になりましたことを追お詫びしつつ、よろしくご了解下さい。

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「食」とジェンダー(『ほっとニュース』2019.2.21)

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こだま舎は、40周年を迎えました その6

「食」とジェンダー(社会的、文化的につくられた性差)

 

1.性別役割分業は崩れていく?

 

性別役割分業の考え方が根強く私たちの日常生活を縛っています。生物学的女性性が出産機能を有していることから女が家事育児を担うのが当り前との考え方がごく一般的に支持されているからでしょう。

 ところでこだま舎も30年も過ぎる頃から会員の高齢化が目につくようになり、亡くなる方も出てくるようになりました。夫が他界し妻が一人になった時、妻は会員を継続しますが、反対のケースでは、ごく当たり前の如く夫は退会していきます。性別役割分業の行き着いた結果と言えるでしょうか。

 夫の健康管理は妻の役割であることをいやというほど実感させられたということでもあります 。もちろん夫婦で時に応じて協力し合うことを否定するものではありませんが、基本的に自分の健康管理は自己責任ではないかと思っています。

男性の平均寿命が女のそれより短いのも健康管理を人任せにした結果かとつい思ってしまいます。

 ただ、とてもうれしいことにこの頃の若い世代では、ごく自然に夫が家事へ共同参画していますね。加えて、ジェンダーについての考え方が、従来よりずっと広がりを持つようになったというか、何を持って性差と考えるのかの線引きの仕方に疑問が呈されるようになりました。そのために性別役割分業という考え方が成り立たなくなっていくかもしれません 。パターン化した家事育児分担概念は崩れていくだろうとプラス思考で期待しています。

(山崎久民)

 

 

2.息子には伝わりにくいというお話

 

わたしには息子と娘がいる。

娘とは食に関する話題も多く、自然と料理もするようになり食に対する私の考えも多少は伝わったように思う。

一方息子が小さい時は添加物、農薬の怖さについてはしばしば話をしていたものの掃除や食事の後片付けはやらせていたが料理はさせてこなかった。思春期には会話もポツリポツリとなり・・・。長じて長時間労働の中に身を置く社会人になってからは「食」はすっかり“私食べる人”になってしまった。結婚を機に作るのは母から妻に変わっただけで状況は変わらず、食の一切は配偶者に委ねられており、忙しい子育て世代の典型的な暮らしを送っている。

掃除洗濯の家事分担は担っているが、食を担当しないという事は今の食の危うさを実感しないという事なのか。本人に関心がないというのが一番のようで息子には伝わっていない感、満載なのです。

(坂野浩民)

 

 

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「農」の特殊性(『ほっとニュース』2019.2.14)

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こだま舎は、40周年を迎えました その5

「農」の特殊性

 

「農業は他産業の論理とは違う」ということも40年間で学んだことの一つです。私なりに考えた論拠は次のとおりです。

ゝ╂瓠天候などに大きく影響を受けること

◆嵜」の根っこが「農」=生きる根っこであること

「食」目的以外にも貢献(環境保護などの多面的機能)していること

 

,亡悗靴涜翩、集中豪雨、日照不足など強烈な天候不順による影響は、この何年間でとても大きくなって来ました。屋内で生産される水耕栽培や、植物工場がもてはやされた背景にそうしたリスクを避けることが目的にあるのでしょう。災害列島になってしまった日本(だけではありませんが)では、こうした技術開発も必要なのかもしれませんね。

もう10年以上も前だったと思うのですが、ニュージーランドに行ったとき、水耕栽培でのレタス農場(と言っていいのか)を見学する機会がありました。大きなタンクから殺菌薬を含んだ水が常時流されており、誠にきれいなレタスが作られていました。その水耕棚は地上から人間の腰位の高さに作られており、足元の土は硬くひび割れ状態でした。肥沃な土も日の光もささない中で育つレタスの栄養素、味は地べたで栽培されたものと比較してどうなのだろうと思ったことを思い出します。

 

△了訶世鮃佑┐襪箸、真っ先に思い浮かべるのは、ゲージ飼いの鶏、豚、牛のことです。時折私たちはそれを「アニマル工場」と呼び、農業ではなく工業だと言ったりします。育つ環境だけではなく、肉などとして食べられるようになるための期間を短くしたり、売れ行きの良い部位部分を量的に増やすといった工夫をしたり、まさに工業的技術革新と言えるでしょう。

そうした工夫は、競争力を高めるためになされているワケですが、そもそも私たちの食べる量は決まっているのですから、競うという概念そのものに違和感があります。命の根っことしてふさわしいかどうかで選ぶことが私たちの命に貢献してくれるだけではなく、そうした生産者を支持し、かつ、の多面的機能にもつながります。

 

の農業の多面的機能という言葉は農業界外でもずいぶん知られるようになりました。また、20年程前にはパソコンに「有機農業」と打ち込んでもとんでもない字で転換されていましたが、今では速やかに転換しますから、当時からすると隔世の感があります。

先日出席した「次世代有機農業研究会」でも、環境保全型農業というと売り込みやすいという分析報告がありました。

 

しかし、農業の持つ役割が十分に消費者の理解と行動につながっているかといえば残念ながらノーと言うしかないかもしれません。食糧自給率(現在38%)に消費者の行動結果が現れているからです。「都市に暮らす多くの人たちは、日本の農業は過度に保護されており、輸入農産物に比べ国産の農産物が高価であるのは、農業者の努力が足りないからだ、としか理解されていないのではないだろうか。」(『イチ子の遺言』より)                                (山崎久民)

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「食」を支えているのは「農」(2019.2.7)

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こだま舎は、40周年を迎えました その4

「食」を支えているのは「農」

 

 甘夏とお茶から始まったこだまの会は、次に山形県高畠町有機農業研究会と提携、米から、果物、豚肉、野菜等々と広がっていきました。さらに、日本のあちこちの農業者・生産者に広がり、取り扱う食材が年々増えていきました。

お米では、援農が強く求められ、少なくとも年3回は高畠町に出掛けるようになり、十数年前まで継続されていました。また、年1回、品川の国民生活センターを会場に、他の消費者グループと共に交流会が持たれました。他地域の生産地には援農こそしませんでしたが、見学、交流の機会は密に取り、「農」を理解することに努めてきました。

そうしたお付き合いをすることで、「食」を支えているのは「農」なのだということを心底実感できたと思っています。

 

しかし、時代の変化は消費者の側、生産者側双方に援(縁)農を基軸にした「農」の理解というやり方を崩していくことになりました。

一番の変化は、私たち草創のメンバーの高齢化。私自身も、体の衰えが身にしむころから援農を卒業するようになっていました。それに代わる若い世代で言えば、オーガニック農産物の取得は以前ほど苦労がなくなって来たこともあり、交通費は自前、休みを取ってまで、援(縁)農に行く意欲は持ちにくくなって来ました。

生産者側の事情も変化しつつありました。

生産者側にとっても援農受け入れは「大変」なことでした。食事の世話から布団など宿泊のためのセッティングをしなければなりません。当時、私たちのメインのお付き合い先であった片平家では、多い時で40名以上もの援農者を受け入れていましたから、その受け入れ仕事の大変さは容易に想像ができるかと思います。それは家族全体の一大行事となっていました。じいじ、ばあばも総動員。高齢化の波は生産者家族にも起きていますから、たいして労働力の足しになってはいない(多分)、でも「縁農」は重要だからと続けられていた消費者の受け入れは次第にかったるくなってきたのは仕方のないことでした。

 

さらに安全・安心食材分野に新規参入者が増えたこと、そうした食材を取り扱う流通業者の大規模化などがあり、競争が激化、加えてネットの急速な進歩があります。これらの動きは、安全・安心食材の売買をたやすくしたというプラス面があったでしょう。が、残念なことに「食」を支えているのが「農」であることを消費者が理解する機会にはなっていないことです。

「農」を大事にしよう、そのために「農」を分かることが必須です。消費者である私たちは、「農」というとそれは農業界の人たちの問題だと視界から外してしまいがちです。しかし、「農」は「食」の基ですから、農業界の人たち対象だけであるはずがありません。また、私たち消費者側の意向が反映されない「農」があっていいはずもありません。

 「農」を考えるのはたやすいことではありません。他産業と同じように競争力を持った農業者の生産物を食べたいのか、競争力はないが地球環境まで配慮した農業者のものを食べたいのか。「農」を大事にするって具体的にどのようなことをいうのか。40年を経た今、改めて考えさせられています。

「農」の現場を知ることの大事さを痛感するものの、援(縁)農が成立しなくなった現在、他の方法を見付けられていません。

(山崎久民)

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「食」の役割(『ほっとニュース』2019.1.31)

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こだま舎は、40周年を迎えました その3

「食」の役割

 

 だいぶ前に『ほっとニュース』で書いたように思うのですが、再度、「食」の役割について整理してみようと思います。『平成の家族と食』(品田知美編 晶文社)の中で畠山洋輔氏が以下のようにまとめていて、なるほどと思いました。

 

\戸的機能:栄養と健康を確保する

感覚的心理的機能:嗜好の充足、美味しさの満足を充足させる

社会的機能:冠婚葬祭など人々が集まる場で食べることを通して交流を深める

な顕重機能:食の文化を構築し伝承する

ザ軌蘚機能:食事の準備や食べ方を通して子どものしつけや教育がなされる

 

 生きている限り、,寮戸的機能は欠かせない役割です。特に成長期にある子ども時代、働き盛りの時代はとても重要ですよね。成長期の食役割は親が果たす、働き盛りの大人は自分自身で配慮・実行するということになりますか。この働き盛り時代の食生活、特に男性はとかく乱れがちで、高齢になってからの体の不調につながりがちです。

 

△蓮⊃べる楽しみ。美味しいものを食べた後の満足感は何とも言えません。ただ、この美味しいと感じる「美味しさ」は、何かと意見があるかもしれません。和食の基調にある味わいのあるだしなどを使った料理を美味しいと感じるのか、化学調味料などを基調にした味の濃い料理を美味しいと感じるのか。小さい時の食生活がこうした「美味しさ」の感覚に大きく影響を与えることになりますよね。後者を美味しいと感じ、そうした食品を食べる続けることで生活習慣病など体調不良につながりかねません。

 

い暴颪れているように大げさでなくとも、親しい友人や、同好の士、趣味の仲間などとの会食はやはり楽しいものです。かつてのこだまの会、こだま舎時代には「食」を中心に数多くの交流の場があり、また、そうした交流の場が新たな出会いの場につながりました。こだま舎の冷蔵庫にはいつもビールや日本酒「菜々穂蝓廖覆海世渕砲覇鍛蹐靴討い親本酒)があり、誰かが来れば「一杯」。今では、こだま舎内で飲み会など全く考えられず、年寄りのノスタルジーと笑われそうです。が、この頃いろいろな意味で脚光を浴びつつある「子ども食堂」は、時代の要請に従い、形を変えた「食」を中心に据えた交流の場なのかもしれません。

 

セ劼匹盪代から結婚するまでの時期に家庭で料理体験をしたという記憶が全くありません。元来料理はあまり好きではなかったということと、養母とそれほど仲がよくなかったこともあり、「食」に関して何かを教えてもらいながら学んだということもなかったように思います。

長じて、特にこだまの会を立ち上げてから、たくさんの料理上手な人たちと出会うことになり、そのほとんどの人たちが親から伝授された食に関する基礎知識と技術を持っていることに気付かされました。養母とのつまらない確執が私の料理の素養に響いていたんですから、後悔先に立たずです。そんなワケでイ亮存修砲浪搬牡屬凌祐峇愀犬眤腓く影響を与えそうですが、それぞれに環境はさまざま。「子ども食堂」など家庭外の場所ででもイ了訶世取り入れられるような機会があればと思ったりしています。

(山崎久民)

author:こだま舎, category:-, 17:04
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「食」は誰にとっても生きる根っこ(『ほっとニュース』2018.1.24)

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こだま舎は、40周年を迎えました その2

「食」は誰にとっても生きる根っこ

 

 「食」は1年365日、1日とて欠かすことなく続けられる行為です。あまりに当然すぎてほとんど意識されることがありません。生を受けているすべての世代に、仕事をしているかどうかを問わず、仕事をしている場合はその種類に関係なく、性別にも関係なく、みなひとしく生きる根っこに「食」があります。

 多くの人はそのことを認識しているものの、日々の生活の忙しさ、収入の多寡、興味・関心の違いなどにより、「食」に手間ひまかけられない現実があるように思います。

 

振り返ってみれば、私自身、とても食にまで配慮する余裕がなかった若い頃のことに思い至ります。

 23歳で結婚した私たち夫婦は、フルタイムで共働きしつつ、夫は大学2部に通い、私は税理士試験の受験生。夫の大学終了と私の税理士合格時期はほとんど同じでしたが、その後に子ども誕生、今度は私が大学入学、夫が税理士試験受験生となり、綱渡りの食生活は続きました。正直なところ、毎日の食事がどんなだったかあまり記憶がありません。

 ただ、私が大学で選んだゼミが経済政策論で、公害なども視野に入っていたため、当然ながら「食品公害」もテーマの一つでした。

 1955年に森永ヒ素事件、1968年にカネミ油症事件等々。そこから食品添加物、農薬・化学肥料などにも関心が広がっていきました。

 とは言え、多分、与えられたぎりぎりの時間の中ではせいぜい大手食品企業の食品は買わないようにし、時間のかからない簡単なものを家で料理することを心がけていた程度のことだったと思います。ただ、料理好きで性別役割分業意識がほとんどない夫だったため、私だけが「食」担当でなかったこともこの忙しい時期をやり切ることができた理由だったかもしれません。

 

1980年、水俣病支援団体である相思社から甘夏を購入したことが機縁で、私たち夫婦はこだまの会を立ち上げることになりました。その時に注意を払ったことの一つに会の仕事を会員の一律義務にはしなかったことがあります。

こだまの会は、いわば「食の安全」を求める一種の市民活動でした。特別に意識することがなければ食に関心のある人だけが集まってくることになりかねません。それは避けたかったからです。タイトルにしたように、「食」は誰にとっても生きる根っこと考えていましたから、様々な立場の人たちが集まり、ごく当たり前のこととして「食」が取り入れられればよいと思っていたからです。

 

 しかし、こだまの会に参加する人数が増えるに従い、目的を定め、それに賛同する人たちが参加する通常の組織に変換せざるを得なかったのは仕方のないことだったでしょう。現在のこだま舎は「食の安全」を求める人たちのための事業体ということになっています。

 

「食」が「心と体」に密接に結びついており、自然の行為として自分の身に優しい「食」を選び、取り込めるようになることが大事だという、ごく基本的なことがこだまの会を立ち上げた時代よりずっと後退したようだと40周年企画会議メンバー内では共通した認識でした。

そうした選び取る能力、美味しさを感じる能力も共に、日常の食生活が育ててくれるもの。美味しいものを食べた後の満足感にひたれる暮しが誰にも得られることを願います。

                                     (山崎久民)

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次世代に託したい(『ほっとニュース』2019.1.17)

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こだま舎は、40周年を迎えました その1

次世代に託したい

 

1980年1月にスタートしたこだま舎は、早いもので40周年を迎えることになりました。

40周年を迎えるまでこだま舎を続けることができたのは、ひとえに生産者をはじめ、みなさま方の共感と支援があってのことと、心より感謝いたします。

 

こだま舎は、40年前にこだまの会として私たち夫婦が立ち上げました。が、その後、協同組合方式として、更に有限会社に組織変更され、それぞれに後継者に引き継がれ、私たちは経営責任から撤退していました。ところが、有限会社に移行後、経営状態が悪化し、私たちが再び経営責任者に復帰。そして、2年前に小林貴徳さんに引き継いだという経緯です。

 

経営状態の長らくの悪化は、小林さんに引き継いだことですみやかに解決できるほど簡単ではなく、小林さんの苦労が続いています。そうした困難のある一方で、それでも何とか続けていこうという気持ちの中核にあるのは「食と農」と「心と体」を大事にすることで、もっと活き活きした豊かな人生を誰もが送ることができるということを伝えていきたいという強い思いといえるでしょうか。

しかし、そうした考え方を40年の間に十分に広げることができませんでした。高齢になった私たちに残された時間は短く、そのことを次世代引き継ぐしかないと思うようになりました。

けれど、このバトンを受け取ってもよいと思う人がいなければ、こだま舎はいよいよ閉鎖するしかありません。

 

 2年前に小林さんが、さらに、40周年企画事業冊子発行に名乗りを上げてくれた40代という若手のお二人が現れたことは本当にうれしいことでした。

 

 お一人は、自分の勤務している保育園で、食に対しての反応は、ゼロではないけれど、「食」より優先するものがある、安くて手軽で簡単な…という食品を選んでしまう現状があると述べていました。ここまで時代が変化する中で、現代の「食事情」が確立されていく中、変えていくことは本当に難しい、自分自身の「体」「健康」「命」がかかっているのに、とも。

 「それでも、こだま舎から発信し続けること、今回こうした冊子を作る事、今、すぐにではなくても、頭の中に一つでも山崎さんからのメッセージを残すこと、これを1人でも多く増やしていく事、絶やさない事、ではないかと思います。

だからバトンは受け取ります。」と力強く受けてくれました。

 

もう一人は、最近こだま舎のスタッフに加わった方です。

「山崎さんの言う『食と農』『心と身体』について、農以外の領域は、私も同じく見つめ続け、関わり続けてきました。こだま舎との繋がりをいただいたのも何かのご縁があったからこそかと思います。
 山崎さんからのバトンも受け取らせていただき、こだま舎、山崎さん、皆さまとの関わりを通して様々学ばせていただきながら、自分も行く末にどんな形で受け取ったバトンを次へと渡せるか考えながら歩きたいと思っています。」と。

どれほどか励まされました。

                                     (山崎久民)

author:こだま舎, category:-, 08:14
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富山だより PART 11 新年(『ほっとニュース』2019.1.10)

このコラムでは、こだま舎会員向けの会報から記事を掲載しています。

 

富山だより  PART 11

新  年

篠島ゆき野

 

明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

 

富山は雪が降り銀世界になりました。景色がガラッと変わり、これまでとは違う場所にいるような不思議な感覚になります。

 

さて我が家がどうなったか心配して下さっている皆様、ありがとうございます、生きてます(笑)

夫は今月地元のIT会社に就職が決まりました。年収は横浜に比べ1/3程ですが、安定収入が入るのは、精神的にも安定します。

 

考えてみると、去年は変化の年でした。夫は12年務めた電機メーカーを退職。家族で横浜から富山への大移動、築100年の古民家に引っ越し、集落行事への参加。

 

子育てしながら生活するという部分では変わっていないものの、環境が変わったことによって、生活の仕方も少し変わったように思います。

 

例えば、私たちはこれまで賃貸マンションにしか住んだことがなかったので画鋲すら刺してはいけない条件。住んでいる時も敷金が返ってこればいいなぐらいの気持ちでなるべき汚さず、工夫もせず、密閉性があり快適ではあるけど、箱に住んでいるような感じ。

古い木造の家に住むと、夏は蚊が入ってくるので、手作りで網戸を作ったり、カメムシが大量発生したらカメムシ取り器、冬は雪が積もるので融雪装置を試行錯誤しながら設置してみたりと(ほとんど夫がやってますが)自然に沿った暮らし方になってきました。

ねずみが出たり、野良猫が家に入ってきてしまったり、日々飽きることはありません。

 

暮らしとしては大変なのですが、それでも子育て中はこういうことが大切なのではないかと思っています。合理主義、効率では済まされない、無駄と感じられる諸々。

子どもは、雪を用水路に流してどれぐらいで溶けるか、死んだねずみを見て「かわいい」と一言。多くの時間をテレビ鑑賞に費やしているのも事実ですが、都会では出来ない経験もしているのかも。

 

<2019やりたいことシリーズ>

・魚つり

・野菜の種を旬の時期に蒔いて実らせる

・ニワトリ小屋作り

・自営業への模索、実現への一歩

 

去年に負けず今年も新しいことにチャレンジしていきたいと思います。

author:こだま舎, category:移住への道のり, 08:44
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